「祖父の思い出~殺さないと、殺されるんじゃ~」
僕は、高橋家の初孫ということもあり、祖父にとても可愛がられて育った。
祖父は、もう何十年も前に亡くなってしまったが、本当に変わった人で、万人に一人の変人だと言うことで「万一さん」と呼ばれていたらしい。
アイデア豊かな発明家だったらしく、いくつかの発明で特許をとって、けっこう羽振りが良かったようだ。
僕がまだ3歳くらいの頃にはよく祖父の家に泊まりに行った。
夜中にメロンが食べたいと言えば、ご自慢のベンツで、夜中もやっているミナミ(多分、難波界隈)の果物屋さんまで連れていってくれたのを、今でも覚えている。
そんな祖父が、ある夜、いつものように僕を膝の上にのせて、画用紙に南の海でクジラを捕る漁師さんの絵を描いて、クジラ捕りの様子を、いくつもの声色を使い分けながら語ってくれていた。
祖父は絵が上手で、お話しを語るのも上手だった。
戦前は、無声映画の映画館で弁士をやっていたらしい。
そして、その日、なぜか突然、「ぼーちん(そう呼ばれていた)、おじいちゃんはな、人を殺したことがあるんじゃ。戦争でな。銃剣で刺し殺したんじゃ。殺さなければ、殺されたんじゃから。戦争というのはそういうもんなんじゃ(山口の人だったので山口弁)」と。
なぜ、3歳の僕に、そういった状況で、そんな話をしたのか?
今になっても不思議だ。
ひょっとしたら、僕の記憶の中に残る幻想なのかもしれない。
でも、戦争に対する生理的で根源的な嫌悪感は、この時、僕の心の中で出来上がったような気がする。
とても、遠くを見るような寂しい目をしていた、祖父は。
だから、僕は余り政治的な人間ではないけれど、集団的自衛権にだけは断固として反対なのです。
祖父は、もう何十年も前に亡くなってしまったが、本当に変わった人で、万人に一人の変人だと言うことで「万一さん」と呼ばれていたらしい。
アイデア豊かな発明家だったらしく、いくつかの発明で特許をとって、けっこう羽振りが良かったようだ。
僕がまだ3歳くらいの頃にはよく祖父の家に泊まりに行った。
夜中にメロンが食べたいと言えば、ご自慢のベンツで、夜中もやっているミナミ(多分、難波界隈)の果物屋さんまで連れていってくれたのを、今でも覚えている。
そんな祖父が、ある夜、いつものように僕を膝の上にのせて、画用紙に南の海でクジラを捕る漁師さんの絵を描いて、クジラ捕りの様子を、いくつもの声色を使い分けながら語ってくれていた。
祖父は絵が上手で、お話しを語るのも上手だった。
戦前は、無声映画の映画館で弁士をやっていたらしい。
そして、その日、なぜか突然、「ぼーちん(そう呼ばれていた)、おじいちゃんはな、人を殺したことがあるんじゃ。戦争でな。銃剣で刺し殺したんじゃ。殺さなければ、殺されたんじゃから。戦争というのはそういうもんなんじゃ(山口の人だったので山口弁)」と。
なぜ、3歳の僕に、そういった状況で、そんな話をしたのか?
今になっても不思議だ。
ひょっとしたら、僕の記憶の中に残る幻想なのかもしれない。
でも、戦争に対する生理的で根源的な嫌悪感は、この時、僕の心の中で出来上がったような気がする。
とても、遠くを見るような寂しい目をしていた、祖父は。
だから、僕は余り政治的な人間ではないけれど、集団的自衛権にだけは断固として反対なのです。